一期一会 de 武術

和気功夫

 

一期一会とは茶道用語ではあります。簡単に言えば、♪もぉ これっきりこれっきりこっれきり♪ ですね。

今回が最後の機会かもしれないから、共にあるこの瞬間を尊び、最大限に活かしましょう、ってことです。

武道/武術においても、そうなのです。言い方を換えると

♪ 逃すな チャンスを いま このときを ♪

ってこと。

 

武術修得は時間との闘い

わけししょうの告白

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態度のでかさでは定評があるわけししょうではありますが、恐怖にプルプル震えていた時があったことを告白します。

それはね、師匠と会えなくなることを恐れていたのであります。日本と中国は離れているし、会いに行けなくなるかもしれないし、周りから吹き込まれて嫌われるかもしれないし、王映海は高齢だったし。

 

そういう意味で、恐怖との闘いだったのです。

 

もう会えなくなるじゃないかっていう思いが、万難を排してコミュニケーションを育む、その時間に命を懸けることに直結したのです。

この機会を最大限にしたいじゃないですか。

とはいえ、不安と期待が同居する、良いストレスと悪いストレスが同時に溢れるのでありました。

 

人生は有限 習得も有限

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「孝行したいときに親はなし」ってもの時間に関することわざですが。

武術の師を親と喩えるなら、これもしかり。

誰でも、無限の時間とカネと若さがほしい! けど、叶わない! どうすんのよ?

 

物量作戦が無理となれば、どうやって窮地というか地理的/時間的な不利を克服するか?

 

長距離戦に挑む

不利な条件であっても、諦める必要はありません。

そう、武術を志す者にとって、困難を攻略することも辞するべきではありません。人生全てにおいて、です。

戴式心意拳「磨手」を学ぶ。太極拳の推手に類似している

武術という自己投資は、経費と時間がかかります。コスパとタイパが悪すぎるといってもいい。どこまでやればいいか、いつまでやればいいか、受け取るリターンもはっきりしないし。

その前提のもと、修得のコツをご披露いたしましょう。

 

ワンチャンとれるか?

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チャンスとは?

機会のことです。その特徴は?

 

極々、まれにしかないこと。そして、一瞬であること。わけししょうは、そう思っています。

そして、後悔と表裏一体なのです。逃してから、あれはチャンスだったよなあ、ってなるのです。

 

わけししょうのワンチャン get 体験

こんなことがありました。

再びの登場かな? 名家:何福生老師ですな。

 

実は日本武道館。馬賢達公との「八極対接」。間違いなく最高峰

わけししょうが、若干18か19歳か。その頃は、常松勝先生の通背拳の教室に通っておりました。習い始め初期の頃、中国から厳広才先生と共に何福生先生を招へい。代々木オリンピック第二体育館で講習会をやるので、来ませんか? との機会を得ることとなったのです。

貧乏極まりない若造は、講習費をまけてもらったような。そして、枯れ木も山の賑わい的に参加したのでありました。

厳老師は八極拳を教えます、何老師は形意拳を教えます、って構成でした。当時の八極拳人気もあって、厳老師のほうに多く人が集まって、何老師のほうはかなり少なくて。

わけししょうは、迷うことなく何老師隊にいきました。まあ、それまでオタク的に蓄積した知識と情報では、南京国術館で馬英図をはじめとして名だたる武術家に薫陶を受けてトップクラスにあった人であることはすでに確認済みでした。当時は雲南省武術協会主席でありました。

かくして、現役で中国でも屈指の武術家を初めて目の当たりにすることになったのです。

しかも、これがそのときのリアル動画なんです。かぶりつき最前列で見てました。さあ、みんな。わけししょうと同じ体験ができますよお!

実際は講習の後の表演だったと記憶しています。

 

講習について、憶えてる限りを記しておきます。

形意拳の五行拳の1本目である「劈拳」をやりました。すでにわけししょうは、南京国術館系の形意五行拳はやってましたので、違和感なくついていけたと思います。

しかし、何老師は「劈拳は大中小があります。それぞれを練習しましょう」と、それぞれを見せてくれました。中と小はぜんぜん難しくないのですが、大きく前屈になりがら打ち込む大は難しい。感激しきりに身体を動かしました。

いま思えば、ほぼ回族武術である河南の心意六合拳の虎撲勢です。

 

そして、わけししょうがワンチャン取れたのは近くの中華料理屋での昼食時でした。遠い記憶なので、多少の勘違いはご容赦ください。もしくは、補正を入れてください。お待ちしてます。

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つつがなく食事が終ろうとしていた頃、「先生方がたに質問がある人はどうぞ」と、通訳の方が振ってくれました。意外と手が上がらず、わけししょうは躊躇することなく挙手したのでありました。なにを訊いたか? 貴方なら、何を質問しますか?

 

「何福生先生は八極拳や形意拳など多くの門派を修めていますが、最も得意な拳種はなんでしょうか」

 

わけししょうも、周りの人たちも、八極拳かなあ形意拳か、それとも太極拳か八卦掌というのかな、と返答に勝手な予想を立てて返事を待ちました、固唾を呑んで。そして、何先生はためらうことなく、こう答えたのです。

 

「査拳です」

 

一瞬、間がありましたが、日本人たちはちょっと期待外れ的な反応をしていたような。

査拳とは、回族(中国のイスラム教徒)に伝承される拳種。比較的初学・基礎的な位置づけにあり、中国でも日本でもメジャーではありません。何老師の家伝であり、何老師は伝人でもあります。

 

はい、いただきました

 

どういうこと? わけししょうは何をgetしたのか。

 

何福生を掌るのは査拳ということです。これって、そうとう重要なことなのです。多くが憧れる八極拳や形意拳で認知されているのを自らひっくり返したのです。そう、真実は1つ! 

その後にご縁はありませんでしたから、これっきりとなりました。しかし、授かった一手(劈拳)と共に、わけししょうの貴重な財産となったのであります。

ほんの半日で得ることができた成果です。武術の習得としては最強レベルでした。

 

エピソード的なことを追加します。

先の食事時に、何老師曰く、「私は回族なので豚肉は食べませんが、餃子は別です」とのこと。笑いながら話す、その人柄も感銘を受けました。

 

遥か時間が流れて、馬明達公の門人たちが何福生YouTube動画を視てこう言って笑ったそうです。

「これって、形意のかっこうをした通備拳じゃん」

馬英図の伝統をも、しっかりと体現してるということと拝されます。

 

本質的な瞬間をとるための準備を怠ることなかれ

Unsplash Piotr Wilk

準備とは日々の練功

まあ、特別な備えが必要ということではなく、単に練拳に励めよ!ってことです。

武術は身体運動が半分、頭脳ぶんまわしが半分です。自分の身体を、考えながら動かすことです。無心になること、師のいうがまま、というのも間違いではないのですが、思考停止ではいけない。

昔は「オタク」といわれるのが嫌いでしたが、最近に至っては逆ですねえ。もっと言って。

情報・知識もできる範囲で得たいものです。判断材料がとぼしいと、他人の口車を頼るしかなかったり、プロモーションに乗っかるしかないからです

次に、自身の身体を動かして、得られる知見を増やすことです。これこそ、功夫(カンフー)ですね。

もっと言うと、感性を磨くことです。そして、直感を研ぎ澄ますことです。情報やロジカルに頼るだけではなく、瞬間に閃く判断が、武術家が備えるべき素養と考えます。

よろしければ、こちらもご覧ください

一期一会は客観的な視点です。主観的には千載一遇のチャンスか、瞬間の判断する時です。

 

試行錯誤という極意

日々の練拳は孤独な作業です。しかし、言い換えると自分との対話でもあります。これが大事。

そして、瞬間に頭に浮かぶ仮説と身体を使っての検証作業です。目的は、上手くなること、精度を上がることです。一言でいえば「試行錯誤」「トライ&エラー」です。ひたすら繰り返すのです。

 

運も縁も重要

運がいい奴には敵わない

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身もフタもありませんが、そういうことです。

でも、開運は自身で引き寄せるものだと思います。どおやって?

 

そう、ひたすら「オレは運がいい」と思い込むことです。

わけししょう、願いが叶うときは、必ず他人がいい動きをすると思っています。

となると……………………

ご縁があるやなしやを問え

ご縁を大事にしましょう。貴方の周りにある、今あるご縁をです。

 

特に師匠とのご縁がね。武術の習得はこれに尽きると言っても過言ではない。

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出会いも大切、その後の付き合いも大事。頻度や関係の深さだけではなく、武術実践者としての向き合い方が、お互いをつなぐご縁になるとわけししょうは信じています。

そして、師弟関係にあるつながりを持ち得る人たちに言いたい。

師匠はこう思っているはず。

 

もっとガッツいて来い!ってね。

 

お楽しみはこれからだ

わけししょうの師である、王映海がしたように、わけししょうも持っている一次情報を惜しみなく伝えるつもりであります。

極々、一部の人にしか響かないことも重々わかっています。

 

Image by Stefan Keller from Pixabay

未知との遭遇はワクワクがとまらないよね。それはわけししょうだって、同じです。

それでは、お会いできることを楽しみにしています。誰に向かって言っとんやねん。

わけししょうでした。