こんにちは。わけししょうといいます。武術家を称しています。
いろんなところで「そもそも論」をやってるんですが。
そう、武術の定義って、そもそもどんなんですか?
この記事を読んで、次のようなことを明確にしましょう。
- 兵法と武術の関係性
- あいまいになっている、武術と格闘技の違い
- 武術ってこういうものですよ、と説明できるための認識
- 武術の魅力を認識する材料
- 情報発信のネタ
武術と兵法の違い
戦争と兵法
兵法といえば、中国「孫子」の兵法が有名です。
「孫武」という人が、ン千年も昔に著した超古典兵法書なのですが、古今東西の戦争で実際に活用されたのだから、驚きといえば、驚きですね。ナポレオンが愛読していたとか伝えられています。
愛媛的ご当地ネタでいうと、日露戦争でバルチック艦隊を破った丁字戦法も、孫子の影響があったのだとか。
武田騎馬隊の「風林火山」も「孫子」から採用されています。
孫子は戦争どころか、ビジネスなどの異分野においても彩光を放っています。書店の棚には孫子に関する著作がおおく並んでます。
兵法は物事の優先順位をどう付けるか、状況の変化やつぎ込めるリソース(物的・人的資源)をどう割り振るか、などの戦略を用います。まあ、いろんな分野に応用が利くということです。
兵法はマクロ、武術はミクロ
戦略レベルから戦術をも含む集団戦、言ってみれば国家レベルで使うのが兵法。
兵法という大きなくくりに武術も含まれます。武術はあくまでも個人レベルでの戦闘技術です。
乱暴な比較ですと、「三国志」は兵法で、「水滸伝」は武術が取り上げられている、と。
格闘技と武術の違いとは
格闘技の本質はスポーツ
いまさら何を言っとんだ? 的なことですが、格闘技はスポーツです。
プロスポーツや興行が入ってくると話がややこしくなりますが、ルールに定められた枠内で優劣を競うことが主目的です。
スポーツをさらに突き詰めると、お楽しみ、娯楽であることになります。
真剣に取り組んでいる人を茶化すつもりではありません。楽しいことに命を賭けるのはわけししょう、大賛成です。
スポーツの本質は安全と普及
さらに矛盾めいてきますけど、格闘技は破壊活動ではありません。ルール上での優位を勝ち取るのが目的です。
前提として、プレーヤーの安全が第一となります。あらゆる種目において共通している大原則です。
ルールや防具などで、安全な競技の再現性が守られることが競技の存続と普及につながります。
武術は本来、スポーツではない
現在、中国武術はおおよそ4つに分かれます。
中国国家が推進する健康法
太極拳を筆頭に、エクササイズ健康法として普及しているのが、武術の1形態です。
中国の早朝、公園で繰り広げられるシーンとしてお馴染みです。
中国の人は健康に関しては、かなり意識されて実践されている印象です。ただし、居住環境が日本ほど良くないので、野外で運動、となるため人が沸いてるように映っているともいえます。
国家が制定したスポーツ(競技)武術
中国は文化大革命という政治的な次元での、伝統文化の破壊がおこなわれました。伝統武術は言うまでもなく、格好のターゲットでした。多くの伝承が壊滅の危機に瀕していたといえます。ゲリラ的に地下に潜ってひっそりと伝えられるという、ほんの数十年前にそんな状況があったのです。
文革がおさまり、その反省に立ち、中国国家が伝統武術を評価、普及を目指しました。それが「表演武術」という体育種目としての武術です。
正確には格闘技ではありません。デモンストレーションとして、体操競技のように得点を競うのです。
意外と知られていないかもしれませんが、アジア競技大会の正式種目となっております。
なお、格闘技競技として「散打」という種目があります。プロテクターを装着して、突き蹴り投げを繰り出します。ポイント制なのですが、外から見てるとイマイチ解りにくい。投げ技が有効です。
昔日のままの武術
民間武術ともいうべき、基本的に権力が干渉しない状態で伝承されてきた、武術です。
純粋に技術の継承とさらなる改良を加えていく時間が流れました。拳種によっては千年をも超えると考えられるものもあります。中国全土で調査がおこなわれ、目録としてほぼ全ての拳種が記録されました。
文革で盛大にぶっ壊しておきながら、時代が変わると一転して国家をあげて持ち上げるという、社会主義国ならではの、力業です。こうして、伝統的な武術は現代にその姿を残しています。
これは伝承者の数だけ、それぞれのストーリーがあります。有名な伝承者等については書物等で、その一部始終に触れることはできます。
危険な楽しみとしての武術
ただし、時間的な経過が武術の価値と言えるか? かなり難しい問題をはらんでいます。それは、「1」の健康法と「2」レベルでのデモ的な競技としての存在としてはなんら問題になりません。
しかし、破壊活動としての武術としてはあまりにも稚拙な技術であっても、永い時間さえ経過しておれば、伝統的な武術として認識されてしまうことです。さらにそれなりの練習人口があれば尚更です。
現代社会では、暴力としての武術には意味がありません。というか、役に立ちません。それは警察や軍隊でほぼ活用されていない、という事実が証明しています。
その前提に立った上で、安全と法秩序の順守を基本に、昔日の暴力を嗜むことができます。人によっては、伝統的な武術が現代格闘技に通用するか検証することを楽しみにしています。
それは、ガンマニアやナイフマニアに準じます。もしく無形文化財的な所作を楽しむことといえます。
まさに男の子の遊びです。でも、それでいいと考えます。
わけししょうは「武楽」という概念を提唱します。武術を介した愛好人同士のコミュケーションを楽しむのです。それはまたの機会に。
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