武術は存亡の危機にある

和気功夫

  

と、前から言ってる。

 

昨今の武術事情というか、感じることを綴ってみようと思います。

地球規模の超情報化はパンデミック・戦乱など人の予測を超えて、いろんなことで、変化してきています。

今後の将来を見据えて、愛好者の端くれとしてどうあるべきかをも提言いたします。

 

この記事をお読みになれば、武術の置かれた現状とそこに身を置く私たちがどうすればいいのか、ヒントとなるやもしれません。軽めにいきます。軽めにね。

 

情報量は多くなったが

Michael Schwarzenberger   Pixabay

インプットについては、インターネットの恩恵で、武術についての情報に簡単に触れることができるようになりました。言語の問題を除けば、世界規模での情報共有が可能となっていると思います。しかも、ほぼ無料です。時代的にも、かなり古い画像・動画がアップされていることもあります。貴重だなと感じる動画もあります。

それらについては門派を問わず、Facebook上でキャッチできたコンテンツに関しては同じくFacebookの『伝統武術同好志会』で紹介しています。よろしければ、ご覧ください。

 

武術については門派やセクトがあるため、自身の好みを選択できるネットの世界は利便性が高く、コミュニケーションコストも低いです。一時は中国のサイトに動画を探しにいくこともありましたが、YouTubeやGoogle検索でもけっこうお目当てが見つかることもあります。ここではやりませんが、そのうちお薦め動画をピックアップしてもいいかもしれません。門派や系統を超えてのことです。ご意見ください。

 

その気になれば、発信者との情報のやりとりさえも可能となります。SNSなどでの交流も気軽にできますからねえ。なんちゃって翻訳ツールも冷汗レベルで活用できます。語学や文化の差異が武術の難しさではありますが、その壁をテクノロジーで越えていけるのが、現在だともいえます。

ただし、秩序がないというか、指針がないというか、業界をリードする人やメディアがありません。流行や新たな発掘がわかりにくい。まさに令和の武術は在野でミクロに展開されていくのだろうなあ、と思います。

 

武術の実践は変化なし

武術の実践や教授に関してはほぼほぼ変化はないといえます。そういう意味では新時代は到来していないです。

 

難解? 表面上は単純。そこに巧妙さがあるか否か? 

 

PDCAサイクルっていうフレームワーク知ってますか? プラン⇒ドゥ⇒チェック⇒アクション のことです。わけししょうとしては、ビジネスのフレームワークをも武術に持ち込みたいのであります。

武術の練習は単独でこれをおこなうか、指導者とのコミュニケーション形式でこれをおこなうか、の2択になります。

まずは1つ目。仮想の敵をイメージして、攻撃を主とするエクササイズ的なアウトプットです。言い換えると、単人練という練習ね。まさに数百年を超えても不変であるわけです。当たり前といえば当たり前。

2つ目。教室等での教授についても、変化はあまりないといえるでしょうね。リモートでのオンライン形式を採用しているケースもありえるが、手取り足が不可欠であります。師のチェックこそが、上達のカギです。

また、教授の場におけるコミュニケーションには大きな意味がある。技術だけではなく、その周辺には伝授されるべき大切な要素があるのです。

 

人間関係濃度は薄くなっている?

現代においては、人と人の関わりがどんどん希薄になってきている、という仮説を立てましょう。

まあ、どこでも見るような無難な枕詞ですよね。

 

かくして、武術における伝授においても、同様の傾向が推察できます。金銭の授受、月謝や講習料を払っての教授は、我々が受けてきた習い事や学校教育的に取り扱ってしまう傾向があります。一方通行というかな。

捏造はありません。松山市木屋町「津田酒店」で購入。

 

武術の教授においては、仕事上の人付き合いに近いイメージです。双方向のコミュニケーションが必要です。一方的に情報を受け取るだけでは成り立ちません。このあたりが難しいことです。

わけししょうが呑み会だのバーベキューだのをみんなとやるのは、楽しみや価値の共有を通じて、武術的なコミュニケーションレベルの向上を狙っているのです。後付けっぽいですねえ。その通り。

 

神秘性は弱まってる?

わけししょうが中国武術に触れたのはブルース・リー、ジャッキー・チェン、ジェット・リーなどのカンフー映画が初めですねえ。リアルでは松田隆智先生の著作ですねえ。

台湾での伝承を持ち込んで多くの本が発売されました。味わいはある。写真はイメージです。

 

情報源は書物しかありませんでした。そのうち、東方書店や内山書店から台湾や中国の武術書を購入したりしました。そして、今は亡き福晶堂から専門誌「う~しゅ」が発売されることになりました。

記念すべき王氏戴式心意拳が表紙を飾った号。

 

まあ、神秘性というか、煽りチャッチが横行する世界です。中華の伝統として、劇的な表現が大好き。未知の世界であるわけで、さらにその魅力を加速させるのです。そう、西洋スポーツと異なる力の出し方、不思議な身体の鍛え方、いとも簡単に相手を倒す技など。相手に触れることなく吹っ飛ばすなんてのもありました。さらに、変な武器の数々。そりゃあ、すごいと思っちゃいますよねえ。

 

Unsplash Sten Rademaker

時代は流れて、VHSやDVDが発売されることになり、動く武術が手元に届くようになりました。これにより実像を目撃することとなりました。インターネットでも多くの動画が上がっています。

そして、神秘が打ち砕かれたのであります。

 

昔を思い出してぼやく

超情報化社会となった今、すでに何でもバレてしまいます。これは止められない潮流でありまして、受け入れるしかないのです。

「神秘」や「保守」、「秘密」ってのは、武術の本質ではありません。そのことに皆が気付いたのなら、それはそれで。

その一方で、価値が下がったような錯覚にも陥るのであります。

 

でも、それは違う。

わけししょうも情報をもれなく伝える姿勢ではあります。便利にアクセスできることと、価値の有無は別の話です。

さあ、その価値を享受して、自己表現できますか? 本質的な問いが実践者であるあなたに向けられているのです。

 

時空を超える

戴魁公。王映海の師。戴一族最後の伝承者。現在の戴の末裔は心意拳はできない(映海談)

わけししょう、時々いうんですが。

わけししょうたち、中国からマアマア遠い日本で、中国山西の技を練っています。空間超え。

そして、その技は歴代の先師からつながっているのです。あなたの後ろには、あなたを操る先達がいるのです。時間超え。

 

ちとロマンチックですが、伝統武術の価値の一面です。まさに味わいといってもいい。深い深い、時間が醸し出す年代物のシングルモルトウイスキーみたいなもんです。

 

一次情報が重要

かなり以前の話です。

とある人がわけししょうに取引きを申し出たのです。

 

「わけさん。心意拳の○○を教えてくれたら、(他派の)××を教えますよ」

 

光の速さでお断りしました。

 

方向性の違いとは具体的こういうことです。良いか悪いか、ではありません。指向というか考え方の違いです。

先ほどの「時空を超える」の項で述べたように、人を介して伝えられる武術ならではの価値があります。それは「一次情報」ともいえます。その場に立ち会った者しか知りえない、誰も予想すらできない事実が大切なのです。

 

わけししょうの売りってなぁ~に?

外国人としては王映海との師弟関係での一次情報を持っていることです。

なんだよ、そんなことかよ。そう、そんなことです。

 

存亡の危機にどうするか?

どうしますか?

わけししょうからのご提案です。

 

王映海が心意の大事な戦術を授けるよぉって言ってくれたときの写真

 

わけししょうが持つ一次情報の共有ってどうですか。文章や動画で伝えることではなくてですね。

わけししょうとの関係での一次情報を稼いでください。アクセスをお待ちしております。

 

わけししょうでした。