高齢医療/介護は多くの人が避けられない社会的な問題となりえます。というか、なってます。
わけししょうのケースをお話しします。
この記事はこんな方に読んでほしいです。
- 近しい人が病気・けがで家で面倒を見るのが、難しくなりそうな状況の貴方
- 自分や家族の医療機関と関わり方を整理したい人
- コロナ禍の医療・介護の状況を知りたい人
- 介護の仕事に就いてもいいかな、と考えてる人
- いわゆる備忘録として残しておきたいわけししょう
ししょう母の場合
まあ、こんなことを記していくのには賛否あるとは思いますが、ご容赦ください。
老いと衰えは止められない
家族や子どもの立場からは元気な頃の母親が一番。
とはいえ、どうしても逆らえないです。すでに御年八十五。
「いつまでもあると思うな親と金」ですね。わけししょうは既に金はありません。
普段はわけ妹と同居していたわけ母ですが、わけししょうの認識では
- やや困難さは伴うが、歩行可能
- 単独での排泄可能
- 入浴は介助が必要
- 認知に関してはとりあえず問題なし
- 心臓・腎臓に異常を認めるが、大量の投薬と定期診察
- 体重過多
- 高齢介護サービスは利用せず
状況的にはわけ妹に「おんぶにだっこ」だったのです。
家庭での限界
ある日、妹からlineが来ました。
「兄ちゃん、もう限界」
短いメッセージには緊迫がイヤというほどいうほど伝わってきます。
ししょう宅から車で3分で到着。
呻きながら布団に横たわる母。トイレにも行けず紙おむつをしています。漏れもあるようで、臭いもします。
腰が痛いとのこと。数日前から歩くことができず、介助なしでは立ち上がれないのです。
わけ兄妹は移乗などの身体介護のスキルを持っておらず、かなり動揺。
翌日、以前に手術をした総合病院の外来へ診察に行くことに。ここで利用したのが、介護タクシー。軽4箱バンが到着。おっちゃん一人で軽やかに車いすに移乗させます。さすがプロ。
救急搬送まではいかないけど、素人では移動が難しい際には検討してみてはいかがでしょうか。料金が安いか高いか? コスト的にどうかというのはありますが、わけししょうとしては全然オッケーでした。
ここで一言。
なんやかんやでたいへんな介護職ですが。非常に人から感謝されるお仕事です。
ケアワーカーのみなさん、腰痛に負けないよう。ご活躍をお祈りしてます。
さて、これからが問題です。診断としては、骨粗しょう症からくる脊椎圧迫骨折。どう考えても重症です。痛みで仰臥位(仰向け)になれないため、CTがとれません。無理やりに撮影しようとしても、じっとできないから撮影できないのです。
かくして、ほぼ処置らしい処置もなく、帰されることになりました。
ガーン! 的な展開です。まあ、どうしようもないのも、解らなくもないのですが、連れて帰ったところでどうしようもない、と。
帰りも介護タクシーを利用したかったのですが、わけ妹が「もったいない」というので、わけししょう車できたくさせ、素人介助で部屋まで帰って、元に戻って、布団の上で痛みに唸る状態に戻っただけです。診断してもらっておわり、と。わけししょうは腰をいわしてしまいました。
ちなみに、昔はあった、「往診」については、寝たきり状態のみ頼めるそうです。動けないのは寝たきりとは違うようです。
医療機関との関わり方
さて、ここで病院との関わり方をタイプ別に検討しましょう。
これが正解というわけではありません。医療に関しての素人が独自に考えたことです。
かかりつけ医
町医者というか、自宅近くが多いですかね。とりあえずの不調を診てもらう、と。
現在はいきなり大きな病院には行けないシステムになっていて、まずはゲータウエイといえるかかりつけ医になります。
だいたい、風邪ひいたらあそこ、皮膚科ならどこそこ、整形は…………、などと決まっていることが多いんではないでしょうか。待ち時間はマアマアあるにしても、おっきな病院に比べれば、まだマシですからね。
わけししょうの経験としては、かかりつけ医の診断で命拾いをしたことがあります。侮ってはいけません。
総合病院
現在は、紹介状が必要な大きな病院といえましょう。
しょうもない症状で来られても困ります、ということですね。
わけししょうが東京にいるころ、某医大付属病院で診てもらったことがありますが、どえらい待ち時間で、診察は一瞬。自分の中では町医者ではアカンと思ってのことですが、結果的には町医者のほうがよかったのかも。
コロナ感染症のせいか、医療機関はかなり空いている感があります。高齢者の憩いの場的な立ち位置が脅かされているのかもしれません。
救急病院
松山の救急病院は当番制になっておりまして、1日当たり2か所の医療機関が指定されています(たぶん)。松山市のサイト等で確認できます。
簡単に整理すれば、夜間・早朝などに自力で行って診てもらう場合、救急車による搬送先となる場合があります。
先にもあげましたが、わけ母はその担当医療機関を確認しては、イヤだ! となるわけです。以前に大腿骨を骨折した際には、搬送先で手術/リハビリとなりました。退院直後はよかったよかった的な感じでしたが、後年はボロクソに言ってました。
話は脱線しますが、松山市はいくつか独自の医療機関を持っています。子ども専門が松山市萱町にあります。自力で行かなければなりませんが。何度も夜中にお世話になりました。ありがたいこと、この上なしです。
救急車を呼ぶ
数日たってもわけ母の状況は若干痛みが和らいだよう。しかし、廊下でしゃがむように転倒。大腿部が痛くて動けない羽目に。さらに爆発的に痛みが襲ってきた模様。まあ、ハッキリ言って、全身の骨がボロボロで、どこがいつ骨折してもおかしくない状況だったとはいえます。
わけ一族の限界と判断。わけ娘・わけ息子を枕元に集合させ、できる限りの激励。結局、これが子どもとは最後になってしました。
翌朝、救急搬送を要請することに。
ただし、ここで前日の総合病院が役に立ちました。その日の救急担当医療機関は関係なくなります。
そうです。以前に大腿骨骨折の手術をしていたので、診療開始時間を待って電話します。状況と担当してもらったことを伝えます。
しばらく電話口で待たされましたが、「受け入れOK」をいただきました。救急隊員に当該病院に搬送する旨を伝えてください、とのこと。
ちょっとしたテクニックですが、以前に同じ症状等と判断できそうな場合は、指定できる場合があります。参考になりますかね?
ビニールのガウンをまとった屈強な救急隊員が手早くストレッチャーに乗せて、病院にGo! です。
状態の説明があり、危篤寸前で経過を看る必要があるとのこと。
かくして入院
正直なところ、「やっとか……………」という感想です。本人がいちばんツラいのですが、周りもたいへんです。
とはいえ、ここからながい闘病生活が始まります。まさに闘い。
医療機関との関わり方
ここで留意したいのは、病院の評判や口コミについてです。昔からよく言われる
「診てもらっても全然良くならず、他の病院に行ったらトンデモないと言われた」とか
「あそこに行ったら生きて帰れない」
などの類です。
「○○さんは本当に足を切断されて、けっきょく死んだ」という、知識がないことから表面的な事象でビビッてしまってたりします。糖尿病の神経障害を知らないわけです。
わけ母はその傾向が滅茶苦茶で、親の仇にように思っているのか、の如きなのです。脊椎をやったときも救急当番の病院を言うと、
「あそこに行くなら(家で)死んだほうがマシ」と言っておりました。
診療についてはあくまでも結果論であり、うまくいけば名医であり、治りにくかったらヤブ医者、となります。治療に関しては専門家に委ねるしかないと思います。
どちらがいい医者か? 考えてみよう
中国の故事に学ぶ
うつろ覚えで恐縮ですが、昔に読んだ「中国の怖い話」全集みたいのがありました。その中で、2件の医者の話がありました。簡単に言うと、
1件目の病院は、建物内や周りに死んだ患者の幽霊が無数に漂っているのが見える。評判は当然、芳しくありません。
2件目の病院の周りには幽霊がまったくいない、と。「うちで死んだ患者はおりまへん」という評判ですな。
あなたはどちらの医者を選びますか?
その理由が物語の先には書かれていました。
武術家が学ぶべき心意気とは?
わけ母であれば、間違いなく2件目の医者を選択するでしょう。
あなたが患者であれば、どちらを選択しても構いません。が、しかし1件目を選択する手もあります。
ここに武術家を標榜する愛好者が認識するべき視点があります。
では、質問を換えましょう。
どちらの医者が武術家っぽいですか?
そうです、1件目の医者だと思います。敢えて、リスクを取る。絶望的であっても最後の望みに賭ける。結果はどうなろうとも、挑む姿勢がそこにあると拝します。
職業や立場がちがっても、我々が見習うべき示唆があると思います。