さぁお立会い!
世界で一番ゆるい武術の集まりが始まるよ
真面目にやるよりも面白くやってほしい
酒を飲みながらでも、全然OK。たばこは喫煙所でね
あと、スマートフォンを持ってきてね。この記事がレジュメとなります。ゆえに事前に公開したので、予習できますよ。未来を先取りしたともいえます。
本日のゴール
今日のゴールというか、ミッションは皆さんと顔を合わせることです。簡単簡単。
参加する方にとっては、戴家最後の伝人である戴魁公の心意を直接習った王映海、そして王映海から直接習ったわけししょうと触れ合うこととなります。
いいコミュニケーションがとれればいいですねえ。
王映海の教え方
王映海を招へいすることはできません。残念ながら、この世にいないからです。その代わりと言ってはなんですが、王一族の教え方を教えましょう。教えるというより、紹介しましょう。
答えとしては、関係を深めていくしかありません。いいコミュニケーションがとれるようにしていくわけです。方法はいろいろあるでしょうが、自身で考えるしかないです。
その前に、観光教授とは(王映海じゃないよ)
「君には特別に○○を教えよう」って言い回しが遠く昔にありました。日本から遥々(はるばる)やってきた学習者に武術家先生がおっしゃるわけです。
教えてもらう側は、ここまで来た甲斐があったもんだ、と喜ぶのです。
その時点で詰んでしまいました。ん? どういうこと?
知りたい欲求が渦巻くのが、教えてもらう側の常です。これはこれで仕方ない。しかも、秘伝とか奥伝とか絶招とか目の前にちらつかされると、もうたまらん。
でも、これってお客様商売の可能性が非常に高いです。
あと、教えてもらう側のリクエストもね。希望が通るってのは、逆にヤバいかも。
戴魁の教授とは
これは王映海から直接聞いた話です。師である戴魁公は心意の教授に関しては非常に厳しかった、ということを何度も聴きました。
妥協を許さない、精度を要求する、などなど。
家伝である心意、しかも保守性が抜群だったのです。なにしろ、お金持ちだし、商売の材料ではなかったからです。観光用は準備しておりません。
また、農村の祠(ほこら)を居所とした際には大量の書物を持ち込んだのです。それは農村では考えられない、知的階層だったのです。かくして、地域の長老的な存在として多くの民が多く助言を求めたのです。
王映海の教え方とは
王映海、その子や孫からの教授は非常に特徴があります。それは
ミッションがクリアされないと次に進まないという点につきます。
日本人には、すこぶる物足らないと思います。横から見ててかわいそうなくらい。
我々は、体系的に学ぶという高等な思考をすでに持っています。そう、心意にはこれこれこういう技があるという知識を持ってしまっています。
多く技を手に入れたい、あれもこれも、ってなりますよねえ。
王一族は、そういう期待には応えてくれません。
じゃあ、どうすんのか?
わけししょうの教え方
師匠業歴約30年
わけししょう、いろんな人に武術を教えてきました。1回こっきりの人もいれば、30年近くのお付き合いをしている方もいらっしゃいます。
懺悔めいたことを告白すると、自分が楽しむのが第一でした。
今に至っても、きちんとできているか、自問自答の連続です。まあ、進化している過程ということでご容赦ください。
優しいのがいいのか、厳しいのがいいのか
まず、結論から言いますと、わけししょうの教え方は、かなり厳しいと思います。
ほぼ、どうでもいい話なんですが、わけししょうの大学での専攻は教育学でした。
武術だけには限りませんが、「優しい先生」と「厳しい先生」についてご案内。
皆さんが思い浮かべる厳しい教師って?
厳格で怖くて、宿題が多くて、テストが多い。問題ができなかったら居残り、叱咤どころか罵倒に近い言葉が飛んで来る。ついていけなくなってお構いなし。授業が苦痛に思えるような、そんな感じですか。
かたや、優しい先生って?
教え方がすごくていねい。解りやすい言葉でゆっくり進む授業。テスト出題についてもさりげなく教えてくれる。宿題を提出しなくても怒らない。授業中に寝てようが、漫画を見てようがおかまいなし。赤点取っても、鼻くそみたいなレポート提出でオッケー。
そんな感じですかね。でも、ホントは逆ですよね。どっちの方が教育の効果があるか。
教える立場になれば、理解しやすい。
家伝とか一子相伝とか、宗家筋に生まれることに門外の人間はせん望の眼差しでみますが、教えるほうが必死になります。かくして、英才教育というか非常に激しい教授がおこなわれます。これはこれでキツい。ほぼ強制といってもいい。皆さんには関係ないです。
師弟関係の証(あかし)とは
これはわけししょうの持論というよりも、説得力がある説なので取り上げます。
それは、師のいいところではなく、悪いところが似てしまうという説です。技術的なことだけではなく、振る舞いや考え方についてもです。しかも、無意識に。
笑い話のようですが、いくつも合点がいく例がありました。
みなさんはくれぐれもそうならないよう、自戒と確認をお願いします。
前置きはこれくらいで。
丹田功をやりましょう
威力の養成と戦術の基本
門派や流派に関係なく、もれなく共通するのが、核心となる基本動作です。
戴式心意では間違いなく「丹田功」となります。「猴蹲勢」とも言います。王映海は「身法」とも呼称していました。
わけししょう、大東流合気柔術の後藤孝裕師範との交流で、非常に驚かれたことがあります。
「わけさん、おたくはいきなりこんなん(丹田功のことね)やるんですか?」的な。
日本・中国を問わず、柔(やわら)とか内家拳とカテゴライズされる技術体系では核心部分は共通するのです。ただし、完全なる伝承として伝わっている場合にだけいえることです。
しかも、王映海の系統では、初手でやるのです。そう、他流では奥伝中の奥伝なのにね。日本武術家もびっくり。
特に武術的に効果がある呼吸法が厳然と伝えられている系統は中国にもほとんどありません。
縮むのではなく、伸ばす
上のイラストでは言ってない! と言い逃れをしますが、実は散々ぱら言ってました。「縮む」と。
中国では「束身」と表現するのですが、これを身体を縮めると理解してはいけません。
現象面では縮んでいるのですが、これは縮めているのではなく、屈筋をゆるめているのです。
そして、同時に背中(伸筋)を伸ばしているのです。
当たり前に言ってますけど、これってめちゃくちゃ凄いことなんですよ。心意の極意といってもいい。
「力を抜いて力を出す」という大きなテーマに直結するのです。
まずはゆっくり力まず
心意の動きはオートマ車/電気自動車です。つまり、ギアが繋がりっぱなしで止まらないということです。力んで力を出すのではなく、加速して威力を出します。
ゆっくりであっても、原則的に止まらないのです。説明のときは止めてしまうことはあります。
大袈裟に言います。ゆるめることに命を懸けてください。スムーズに動けることを目指しましょう。
ゆるめることによって力を出すというのは、実は簡単ではありません。その代わり、修得できれば、かなりの高齢になっても動ける可能性があります。これは体格や体力をカバーできるやもしれません。
こんな御仁もいらっしゃいます。
「身体が硬くて」
柔軟性についてはほぼほぼ気にしなくてかまいません。
あと、伝統空手などで筋肉を締めて力を出すエンジンを搭載している人は非常に悩むことになります。でも、気にしなくていいです。時間が解決してくれます。
ちょっと脱線します。空手家先生が高齢になってくると、太極拳や合気道にシフトしていく傾向があります。これは屈筋が衰えてきて、どうしても力を抜いて力を出す方向にいかざるを得ない事情があると思われます。
戦術的なこと
具体的な技法とならなければ、戦術うんぬんは語れません。
とは言え、触れておきましょう。
まずは前提となる舞台設定から。
我と彼にはある程度の距離があります。彼は得意の構えで対峙しています。
最も重要なのは、彼はいっさい動きません。動いてもらいません。
ただし、動くことが前提となります。ん? どういうこと?
万全の構えで迎える彼に対して主体的に攻撃するのが、武術の真骨頂です。武術では格闘技のような攻防を前提としていません。
では、丹田功の動きがどう戦術と結びつくのか? それは秘伝です(笑)。
伝えることは簡単ですが、会得するのは簡単ではありません。じっくりやっていきましょう。
簡単に言うと、相手に触れずに合気をかけます。
それでは練習のフェーズです
それでは実際に身体を動かしましょう。初めての人はアシストします。
すでにやったことある人はどうぞ。
注意するポイントをいくつか。
視線に注意。前方を視るように。
床には5円玉も落ちてません。相手は前方にいますよお。
束身がすべて。肘と肘が合うように。
背中をしっかり伸ばすことで、両肘が着くようになります。できなくてもいいですが、できる限り背中を開いてください。心意では猴(猿)ですが、猫がケンカするときに背中を膨らませるイメージです。
膝が前方に押し出されるように。
腰を入れて、上から見てつま先が見えなくなるくらい、膝が前に出てます。
お疲れさまでした。
あとは余興です。疲れましたかねえ。
余力がある人はもう少しがんばりますか?
なんでも訊いてください
初学の頃は、まさに「わからないことが判らない」ですよね。
シャイな人もいるでしょうし、慣れてないとか、こんなこと訊いていいのかな、とか。
であるならば、現在の状況を確認して、それをぶつければいいのです。
日本の人は、そのあたりお上手ではないですね。
あまりにも見当はずれでなければ構いません。わけししょうは笑いと共にあります。どんどん滑ってください。こちらもボケます。
華麗なるツッコミお願いいたします。
なにが大事か? それは経験
今回のCLUB XINYI どのような感想を持ちましたでしょうか。と言っても、直後ではなにもないかもしれませんね。
かなりの時間を経て、なんらかの意味を見出すことができるのです。もしくは、できないのです。それでいいです。
ただ、わけししょうと実際に会ったという事実だけは経験として残ります。それが大事。
さあ、これからの人生の引き出しとしての、今回のイベントでございます。
いろいろとご尽力いただいた各位には御礼申し上げます。ありがとうね。また、会えたらもっとうれしい。