面白く楽しく幸せに生きていくには、失敗と上手く付き合う必要があります。
はい。わけししょう的な失敗の処方箋をお届けしますよ。
まずは、結論を言っておきたいのですが…………………
失敗は負けじゃねえんだ。
失敗したくない
よく言われるのは、日本って国は失敗を許さない文化というか風習がある、ってやつです。これって、まさに負け犬根性や非生産性の促進、イノベーションの封印に直結していると思います。
しかも、いろんなところで叩き込まれるのであります。まあ、洗脳されているといっていいくらい。
学校が楽しくない
告白します。
実はわけししょう、大学の専攻は教育学だったのです。
学校の先生をみて安直に教師になりたいという、明確ではないんだけど、そんな想いがありました。ユーチューバーになりたい子どもと同じレベルだったのです。狭い世界しか見えないというか。あと、威張るのが好きですしね。
とは言え、子どもわけししょう、多くの教師に失望していたのも事実です。ロクな先生がほとんどいない。仕方ないのかもしれないけど、驚愕っちゃあ驚愕ですねよ。これはハッキリしている。
単にいい人、やさしい先生はけっこういましたけどね。それは教師に求めるものではないし。これまでいい意味で印象に残ってる先生なんて片手で足りるくらい。
とにかく、失敗が許されない空気が支配してましたねえ。
子どもなので精神的にもか弱いし、クラスメイトの同調圧力ってものあったし。ピンクフロイドの THE WALLを彷彿とさせますよねえ。学業か運動の順位が価値のメーターでしたね。それ自体は否定されるものではないですが、とにかく教師や学校の意にそぐわない言動は許されない、というか恐れていたような気がします。
さらに、クラスメイトの失敗や悪態などをチクる、密告することも横行していたような。「○○君がこんなことをしてました」って学級会とか反省会で告発がされてた憶えがあります。中国の大文化革命の紅衛兵っぽいですねえ。党中央からの煽りに乗せられていたというか。日本が最も成功した社会主義国だという人もいます。
ちょっと脱線です。学校教育が多くの凶悪犯罪事件や社会問題の原因で、教育の改革が必要だ! という結論めいた言動はよく聞かれるところです。でも、建設性のない無責任な論に耳を貸す必要はありません。否定って簡単。革新・リベラル野党が実は保守与党の補完勢力となっているのがその証左です。それは成功や幸せから遠ざかることになりますので、ご注意を。脱線終わり。
仕事はもっと楽しくない
そんな教育環境を経て社会に出ると、これまた失敗が許されないレベルが上がります。というか、そういうマインドセットになりやすいですよね。勉強が本分の学生と違って、社会に出てお金を稼ぐフェーズでは、大きな失敗でのダメージは厳しいものとなりかねません。
一概に言えないかもしれませんが、日本は査定や昇給・出世には失敗は許されない風土と思われます。もっと言えば、学校の延長で、怒られないように仕事の上でも立ち回ることになるんじゃないかと。日本企業の生産性の低さは、このような風土であることに由来するのです。
失敗を必要以上に毛嫌いどころか叱責の対象になっている、まあハッキリ言えば、ボロ企業も少なくありません。
逆に言えば、失敗が許される社風であるならば、それは非常に評価されることになります。
世界の名だたる企業にはそんな文化があるといわれています。Googleでは、失敗が判明すると「フェイル・ベル」(失敗の鐘)を鳴らして祝福するのだそう。
失敗をどう捉えるか
わけししょうが言うまでもなく、過去のみなさんも失敗についていろんな解釈をしています。まずはいくつかネットから拾ってみましょう。
先人たちの失敗
いや~、楽させてもらいます。わけししょうも学ぶフェーズです。良きししょうである前提は、良き弟子であることです。そう、いつまでも学ぶ姿勢が重要です。
ヘンリー・フォード (Fordの創業者)
失敗とは、より賢く再挑戦するためのよい機会である。まじめな失敗は、なんら恥ではない。
トーマス・エジソン(発明王)
それは失敗じゃなくて、その方法ではうまくいかないことがわかったんだから成功なんだ。
マーク・トウェイン(「トム・ソーヤの冒険」などの筆者)
やったことは、例え失敗しても、20年後には、笑い話にできる。しかし、やらなかったことは、20年後には、後悔するだけだ。
湯川秀樹(日本人初のノーベル賞受賞者)
取り返しのつかない大きな失敗をしたくないなら、早い段階での失敗を恐れてはならない。取り返しのつかない大きな失敗をしたくないなら、早い段階での失敗を恐れてはならない。
松下幸之助(Panasonicの創業者)
とにかく、考えてみることである。工夫してみることである。そして、やってみることである。失敗すればやり直せばいい。
マイケル・ジョーダン(プロバスケットボール選手)
私は9,000回以上シュートを外し、300試合に敗れた。決勝シュートを任されて26回も外した。人生で何度も何度も失敗してきた。だから私は成功したんだ
本田宗一郎(HONDAの創業者)
日本人は、失敗ということを恐れすぎるようである。どだい、失敗を恐れて何もしないなんて人間は、最低なのである
ブルース・リー(カンフー映画俳優)
失敗は、それを認める勇気さえあれば、いつでも許されるものだ。
どれも味わい深いものです。とはいえ、成果を出したり、成功したり、有名になったからといって、それが幸せとは直結しないことは指摘しておきます。
失敗はプロセス
さて、わけししょうも本稿を仕上げながらも、実生活では失敗にびびってしまうのです。そこで、自分の文章を読み直し、自分を鼓舞しています。
失敗の対義が成功なのか、という問いもありますが、ここでは対となるものとして考えます。
先人たちの教えにあるように、失敗は否定されるものや避けるべきものではないということです。
失敗とは絶対評価では判断できません。つまり、数値化できないし、客観的な基準がありません。相対的な判断となります。
取返しがつかない最悪の結果が出たとしても、その後の解釈/受け取り方で失敗ではなくなります。その後のリカバリーや昇華によって、失敗を消し去るどころか、大きな成功に結び付けることさえあります。一発逆転ってやつですね。
先達たちの教えからみえるのは、なにかの事象・結果に対して、独自のルールを当てはめています。しかも、非常に強い信念や意志を伴うといえましょう。さらには、楽観的なマインドセットが必要なのです。
逆に、弱い精神力やネガティブな思考が失敗を負の方向に大きく振ってしまいます。大きくない失敗どころか、失敗でないことでさえ、失敗したと認識してしまう人もいます。言い換えると「負け癖」です。
人間、基本的には自らの失敗についてはできる限り早くなんとかしたいと思いがちです。失敗を失敗にしないためには、時間がかかる場合があります。というか、時間をかけてリカバリーする必要があったりします。我々が持つ最も貴重なリソースが時間であることの証左です。時の経過と、その後の展開で「あのときのあれがあったから~」と、そのときは失敗と思っていたことが、重要なプロセスだったと認識することって、多くの人にありますよね。
番外編としては、買い物とかでは失敗は失敗のままで終わってしまうことはありますね。なんでこんなもの買っちゃったんだろう? とか、明らかな外れ品とか。メチャクチャ不味い食べ飲みものとか。お安いものは、未来のリカバリーをするまでもなく、放っておくか捨ててしまいましょう。
ただし、事業とか不動産の購入とか、投資に関しては、前もってのリサーチが絶対的に重要です。入門書やYouTube動画だけで判断するのはやめましょう。営業マンや知り合いの紹介はもっとまずい。儲け話は絶対に向こうから来ません。絶対です。他人を信じなければならない、賭けなければならない話はバッドエンドしか待っていません。どんなおいしいプレゼンをされても、です。自身で自信をもって判断できない人はやめましょう。
その失敗も結論的には挽回できないわけではないのですが、非常に大きな労力と膨大な時間がかかるでしょう。今の生活や家族、多くのモノを失うこともありえるのです。
成功は利益確定
かたや、成功って何だろう。失敗は取り返すことができること、成功へ導けることを我々は学びました。だんだん、両者の違いが判断できなくなりそうです。
成功は投資でいうところの利益確定です。言い換えれば、おとぎ話の「めでたしめでたし」の瞬間を切り取りことです。とりあえず、後のことは知ったこっちゃないのです。
以前に、経験と体験のことをブログで取り上げました。経験は体験という事実を時間をかけて熟成したもの、って述べました。時間をかけて、価値ある意味あるものになれば、これまた成功といえます。
成功を勝ち取るにも、前向きポジティブなマインドセットが必要です。すばらしい成果を喜ぶのは当然だと思いますが、実は素直に喜べない人もいます。アンチなマインドが邪魔しちゃうのです。
失敗失敗失敗は取り返し可能
これを読んでいる貴方がどんなに悲惨に思っている人生も、これから反撃に出ればいいだけの話です。いい人生を送ってる人はそれを継続すればいいだけの話です。
甲本ヒロトは叫びました。
僕らは泣くためにうまれてきたわけじゃないよ 僕らは負けるためにうまれてきたわけじゃないよ
わけししょうも応援する。なんか訊いて
日々、細々としたことで奮戦しているのは、わけししょうも同じです。みなさんと共に底辺で足搔き続けています。
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