研ぎ澄ます男子力#0016 さむらい力

男子力

 

♪時代おくれの~ おとこになりたい~  

って歌がありまして。

 

新しい価値観や流行りの考え方が古臭いものを駆逐していく。その繰り返しが世の常ではあります。とはいえ、この歌詞が心に沁みるのであれば、我々の心の奥底に秘めたる何かがあるという仮説です。

人間は生命体としての進化を認識できます。さらに、歴史や文明の進歩を知っています。

そう、未来に向かっていくにも、過去の遺産が力となるやもしれません。これから展開する男子力が貴方にとって有益となります。

日本男児と日本女児。日出国には生命体最大の関門「死」をも克服するメンタルとパフォーマンスを具現した人々がいたってことを語ります。

 

そう、それは侍。

 

すでに世界で通ずる samurai

Unsplash Shino

男子力を提唱する当サイトでは、そのルーツをどこに求めるか?

たいへん分かりやすい展開ですね。

侍 武士 モノノフ 益荒男などといわれる先人です。彼らは心身とも強靭に鍛え上げ、命を賭して戦う日本的戦士です。

天皇から征夷大将軍に任ぜられる武将から、褌ひとつのほとんど素っ裸で戦場を駆ける足軽まで、いずれも武士なのです。

江戸時代は徳川家が日本史上、最も安定した泰平な時代となりました。その根幹を為すのが「武士道」といわれる侍の哲学です。

わけししょうが修めたのは中国の武術ではありますが、それは基本的には技術的な面においてのことです。申し訳ないのですが、中国のそれについては理解が薄い、あまり触れる機会もありませんでした。

 

インバウンドでさらに支持される日本の文化

Esteban Arboleda Bermudez   Pixabay

FUJIYAMA GEISYA って、今は使わない言い回しですね。その後にすき焼きとか忍者とか続くのです。外国人が日本について語るとこうなるのか? ふじやま芸者って、ねえ。これも古い話ですね。アニメや音楽などが好まれているのではないでしょうか。

いま、日本の買い時です。そう、治安の良さに民度の高い人々、世界に認められる食と酒、見どころ満載のサイトシーイング。しかも、日本円が安いのでいろんなものがお買い得。

ジャパニーズマインドとして愛されるのはサムライです。特に男性からかな。ならんで、ハラキリか。さらには神風特攻隊。あと、指摘しておきたいのですが、第二次世界大戦では無条件降伏まで追い込まれた日本軍の惨状が日本人には刻み込まれています。しかし、最後の最期までアメリカ軍を恐怖のどん底に叩き込んでいたのです。そのことについては誇りに思っていい。その後の、人間としての尊厳を完全に捨て去った鬼畜の所業である原子爆弾投下につながったと言えなくもない。

騎士道の国の人々をも魅了するのか、武士道。

 

本場の日出る国ではどうなのか?

Unsplash Some Tale

昭和生まれ育ちのわけししょう、子どもは新聞紙丸めてチャンバラごっこ、安全を確保した上での叩き合い。面白かったねえ。今でもやりたい。

「手裏剣シュシュシュ」って折り紙2つで作る手裏剣がかっこよかった、わけししょうは不器用なので作れなかった。忍者ごっこ、ね。

昭和の時代はテレビ全開だったのです。多くのお茶の間で朝から深夜まで家族が過ごすのが定番でした。おっさんたちは時代劇好きな人が多かったですよね。さらにはNHK大河ドラマ。これは男女を問わなかったかな。

 

とは言え、我々は和服を着ることもほぼなく、西洋かぶれの生活を送っています。なんでかねえ。

Unsplash Museums Victoria

まあ、明治時代以降の歴史を振り返れば判ることであります。西洋の近代化に追随するためには多くの文化/制度/教育などを受け入れる必要があったのです。それに伴い食生活・娯楽も共々に日本を呑み込んでいったのです。ワインもカレーもマヨネーズも美味しいもんね。

わけししょうの世代では子供の頃から、洋が主であり、和は従でした。それは現在も同じです。言うまでもなく、その状況を否定するものではありません。

 

日本人は侍を知っているのか?

Unsplash Ronin

わけししょう、海外にも滞在してこともあります。中国山西省ってところに1年間、短期滞在は数知れず。アジア各国にも旅行したりしました。現地の人たちと交流することはこの上ない楽しみでありました。そういうシーンで痛感することがけっこうありました。それは…………………

日本人は日本のことを知らなさすぎる

という事実です。個人的な感覚もそうでしたし、いっしょに留学したみんなもそう思ってたのではないでしょうか。当時はインターネットがなく、手っ取り早く情報が取れなかった状況でもありました。相手が関心を持っていろいろ訊いてくれるのですが、答えられないことが多いのです。ホントに呆れるくらいでした。適当なお土産なんかよりも、我が国について伝えてあげるほうがいい交流となったと思います。

侍については興味を持っている外国の方も少なくないのではないでしょうか。日本に由来を持つ我々としてはちょっとは語れるほうがいい。

 

徳川府以前の武士

Unsplash Aleksei Zaitcev

地球規模で、狩猟採集時代から農耕による定住が進むと、個人においても集団においても貧富の格差が発生します。統制の規模もどんどん大きくなっていき、なんらかの集団が争うシーンが出現します。自警のため、勢力拡大のため、武力は必要となります。

日本は四方を海に囲まれているため、他国からの侵攻を受けにくい国土となっています。そのため、歴史に残る戦乱は国内の勢力同士の争いがほとんどです。

平安時代といわれた時代に武士勢力が台頭していきます。「みなもとの~」源氏と「たいらの~」平家が2大勢力が皇族貴族さえも抑え込み、支配の逆転が起こってしまいました。

さらに「下克上」という、後の武士道と相容れないような反逆・謀反を試みる武将も出現しました。

そして、群雄割拠、そう戦国時代到来。覇権を競う戦国大名が後世に残る物語を綴ることになりました。それから徳川家康が江戸幕府を開くまで半世紀もの戦乱が続くのです。

 

江戸時代の侍は公務員

Andrzej   Pixabay

「太平の世」といわれた江戸時代。江戸とは東京のことです。1600年代から、世界で最も衛生的・安全な都市ということになります。徳川将軍を頂点とした武家政治で治められた平和な時代といわれています。

 

時代劇のお侍さんは刀で悪党を斬り殺す、そんな出来上がりに仕立てられてます。旅の道中にある副将軍(笑)が立ち寄った街で虐げられていた町民を助ける、江戸城からバックレた将軍が身分を隠して江戸の庶民の不幸を薙ぐ。子供向けヒーロー物TV番組とまったく同じで、一話で完結するパターンが決まりきった展開。安定の品質といえる、権力は市民の味方なんです/長い物には巻かれたほうが幸せでしょ? 的なプロパガンダなんでしょうか。令和の今は絶滅してるんですよね。テレ朝の午前に流れる「暴れん坊将軍」再放送以外は。

「勘定奉行」とかって聞いたことあります? 役職名ですが、その通りで財政や司法のお役人さんです。帯刀した武士は通常のお仕事として公務をこなしていたのであります。江戸に限らず、諸藩でも同様であり、武装した地方公務員だったのであります。

翻って、現代の公務員には武士道なんて、念頭にはないでしょうねえ。まさに平和ボケ。仕方ない部分もあるでしょうが、机上の空論・希望的観測で施策が決定しています。「シン・ゴジラ」でもあったセリフ通りです。言うまでもなく、自衛官や警察、海上保安官は別です。彼らの働きは現代の武官そのものです。というか、期待します。

「自衛隊は国民を守る最後の砦です」 by シン・ゴジラ

 

忠臣蔵の赤穂浪士は反逆者?

わけししょうが子どもの頃、年末になると「忠臣蔵(ちゅうしんぐら)/赤穂浪士(あこうろうし)」のドラマが放映されていたのを憶えています。

刃傷と人情が渦巻く、江戸時代元禄期の実話です。君主・浅野内匠頭が殿中で刃傷沙汰を起こし、将軍の逆鱗に触れて切腹・お家断絶。喧嘩両成敗なく吉良上野介はお咎めなし。筆頭家老の大石内蔵助がリーダーとなって綿密な計画を立てオペレーションを実行、見事に吉良を打ち取った。

事の次第は割愛しますが、白黒つけるのが、とても難しかった事案だったのでしょうか。お裁きは結果的には討ち入った全員が切腹。君主の元に集ったのでしょうか。

その複雑な人間ドラマは、歌舞伎や人形浄瑠璃の題材としては当時のトレンド/流行語大賞は総なめだったと推測できます。しかも数百年経っても、まだあるであろう神通力。わけししょうも子どもの頃に見たテレビドラマはグッときましたねえ。

まさに侍の本懐を遂げた、美談の極りと言っても過言ではありません。とはいえ、これって一言で片づければ「国家反逆罪」ですねよ。現代の法律でも無期懲役以上は確定です。

 

唯一、刀が輝いた幕末

武士の魂といえば、刀となります。しかし、天下泰平の江戸時代は斬り合いなんてほとんどない。法的に定められた装備だったのですが、実質はお飾りになってしまった二本差し。困窮に陥った武士は刀を売っぱらってしまい、竹光というダミーを腰にまとっていたとか。

 

そもそも論なのですが、実は刀って役に立ちません。え~!

人類歴史上、最も切れ味がある刃物です。これは間違いない。大名や将軍が褒賞として刀剣を与える風習さえありました。金銭にはない価値があったのです。しかも、芸術性も高く、愛好者が世界中にあります。これも否定できない事実です。現代に至っては国宝や重要文化財として公的に評価され、美術品として高価に売買されています。わけししょうも愛蔵しています。単なる人斬り包丁ではなく、霊性をも宿している日本の宝です。

 

日本における合戦の戦法としては、距離/レンジごとに用いる武器があります。まずは飛び道具。弓矢もしくは鉄砲・大筒、状況によっては投石。接近すると白兵戦となります。古くは薙刀や長巻、主には槍が使われます。更に取っ組み合いとなれば匕首・短刀・兜割。そう、意外と太刀や刀って出番がない。使い勝手がそんなに良くなかったのです。

 

しか~し! そんな不遇な刀が威力を発揮する時期がやってきたのです。

それは、黒船来航以降の幕末期から西南戦争勃発くらいまででしょうか。尊王攘夷運動から開国派、倒幕から大政奉還。激動の幕末期も、これまた人気のある闘争の歴史です。

 

暗殺の手段として、刀で相手を斬り殺す、ってのが流行ったのです。なんでか?

そう、みんなが持ってるから。

????? どういうこと?

お侍さんは決まりとして腰に刀と脇差を差すことになってました。故に殺傷能力がある武器があるわけで。つまり、怪しまれないし、露見もしにくい。だって、、みんな持ってるんだから。槍や鉄砲に比べて携帯もしやすいという利点もあると思います。弓を持って歩くわけにもいきません。

武術的な見地からいえば、日本武術は刀の操作法が頂点であり、武士にとっては必須科目です。戦国時代以降、最も発達洗練した武術といえます。その技術を遺憾なく発揮することとなったのです。剣術が最も光り輝いたタイミングだったのです。そう、剣道ではなく剣術です。

単独のテロから、集団戦も繰り広げられました。銃器と刀という取り合わせが用いられ、戦国の合戦とは異なる戦法が用いられたと推察できます。わけししょうの見立てでは西南戦争がピークだったのではないか、と推測しています。意地と技術がシナジーをなして、それはそれは見事な斬り合いだったに違いありません。

 

武士の所作といえば

「武士は食わねど高楊枝」「武家の商法」などと揶揄されるお侍さんではありますが、独特の行動様式がいくつもありまして。

格式や縁起などを重んじるのです。さらには文武両道として教養や文化を嗜みとしていました。戦国の世から茶の湯は武士の楽しみだったのです。命を賭した合戦の陣地で、休戦状態には喫茶を催していたんですって。

切腹

脇差で割腹することはない、短刀が用いられるのが通常

「HARAKIRI」として外国にも認知されています。世にも奇妙な自死の方法です。

戦国時代、追い詰められた大将が「もはやこれまで」と自害することは多々ありました。切腹は、それとは趣を異とします。ここでは江戸期における、刑としての切腹を指しています。

幕府が切腹を制定したのは、武士の情けが背景にあります。名誉の死に方なんです。自身の行動にて始末をつける、最も苦痛が伴う死に方、腹を割ってその白さを示す、など武士の勇猛を表現する機会なのです。

切腹は儀式として完成されています。細かい作法が定められています。すでに美学まで昇華しているといっても過言ではありません。最期の食事には昆布を3切れを食す、「身切れ」と洒落ると。辞世の句もひねらないといけません。

介錯とセットです。死刑執行人といえなくもないのですが、果てる本人に縁がある、同輩やお世話になった人が柄を握ってとどめをさすのです。完全に首を斬り落とすのではなく、皮1枚残してつながったままにするのが作法です。かなり難易度は高いといえます。三島由紀夫が市ヶ谷駐屯地で割腹したときも介錯が上手くいかず、2回目で成功。ただし、首は完全に切り離されてしまったはずです。

 

戦いに挑むには極限状態といっていいほど、ストレスも大きいし精神も消耗します。心身が崩壊しかねません。まともでいるほうが難しいかもしれません。現代戦でも変わらない、人間が生き物であることの証左でもあるのですが。

武士は自身の中で折り合いをつけるために、宗教に傾倒していくことも少なくありませんでした。特に禅は、武術との相性に優れています。実践方法が単純で、道具も要らず場所・時間を選びません。瞑想が心身のバランスを保ち、身体運動の基礎ともいえます。武術の実践にも禅的な要素は含まれます。

心理的にも大きな役割を果たします。自身の「死」を克服するため、自軍の統率と作戦の遂行における決断、出世の本懐を実現するため、多くの武士が実践したのも頷けるところです。

 

宗教的なことに並んで、武士は非常に験(げん)を担ぐ慣習があったといえます。縁起を担ぐともいえます。さらに先ほどの昆布のごとくに洒落。

お仕事に赴く、家を出るときには、おかみさんが火打石をカチカチ。寝るときは北枕をしない。初夢は「一富士二鷹三茄子」を尊ぶ。大願成就のためには断酒や女断ち。アワビ・カツオ・栗・昆布を戦勝祈願に食する。赤い褌(ふんどし)を締める。

なんのこっちゃ、レベルのおまじないみたいですが、現代でもスポーツや受験には重宝されていますよね。ステーキにカツ、キットカットにイヨカン、ウインナーに納豆やオクラとか。

 

ちょんまげ

男子は髷を結う、のがお侍さんから庶民までのヘアースタイルです。若くても前頭部を剃り上げて、残った髪を伸ばして束ねて結って頭頂部に乗せる。整髪料としてびんつけ油が用いられてようです。

なんであんな変な髪形をしていたのか?

サッカー選手に長髪の人が多いのと同じです。へ?

そう、頭部を保護するためなのです。何から? 兜から。

鉄製の兜は重い。相当な重量がありました。それをかぶる際に髪を束ねてクッションにしたのです。蒸れを防止するために頭頂部を剃り上げると。

現代では大相撲の力士くらいですね。髪結いも大変に手間がかかっているようです。

 

中国の辮髪(べんぱつ)もまあまあ似たような形状をしています。こちらは満州族の支配のための方策でした。

 

僕らは武士道を継承するべし

道徳としての武士道

新渡戸稲造の著作に「武士道」があります。明治期に発表されたのですが、日本語ではありませんでした。そう、はじめは国外(アメリカ)で出版されたのです。

わけししょうも何度も繰り返しinputしました。過激な描写もあり、年少者向けとはいえない側面もあります。が、武士道の本質を考察するには必要と思われます。

明治期のことです。筆者が外国の人に、日本の道徳教育っどうやってんの? と問いかけられて返答に困ったというエピソードで始まります。

そこで稲造は気が付きます。「武士道」があるじゃないか!

かくして江戸期に生まれた日本の知性が見事に武士道を言語化したのです。詳細は本を入手してご覧ください。わけししょう、あまり本を薦めることってないと思うのですが、これは一読の価値があります。

 

男子力の核心

Unsplash Tijs van Leur

甲本ヒロトはうたいました。

 

「生きるということに命を賭けてみたい」

 

実に見事に武士道をワンセンテンスで表現しました。以上!

 

hardrockWAKEを標榜しているわけししょうとしては、これが言いたいこと、目指したいこと。命を宿して生れ出たからには、なにかを成し遂げたいし、出世の本懐ってのを楽しみたいのです。ただし、大金持ちになるとか、世界的な成功とか名声を収めるとは、関係なし。

 

真剣とは冷静に熱量を込めること

ポーカーフェイスじゃなくてもいいです。顔をゆがめながらでも泣きながらでも。サムライが絶体絶命であっても、ことに当たるのは日頃の訓練に秘密があります。

そう、武芸の稽古です。繰り返し繰り返し繰り出す気合が、自身を強くしていくのです。

 

ここで宣伝ですが、わけししょうは武術家です。わけ功夫として皆様に武を提供しています。形式だけではない、正統な流れを汲んでいます。

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わけししょう、引き出しの多さが売りです。見えないものが視えることもあります。日常的にご相談を受けたりしてます。

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