研ぎ澄ます男子力#00028 相談力

男子力

 

他人に関わるって鬱陶しい。自分の世界に閉じこもっておきたい。このままでいいんです的な。

でも多くがそれが許されない。社会で生きていくとはそういうことだよね。 もっと言えば、面白く生きていくことができないです。人との関わりって、この世を楽しむには不可欠です。

コミュニケーションの一形態としての「相談」を語るぜ。

 

不安や悩みがとまらない

人間が楽しく生きるって、そう簡単なことではありません。全人類の不安を集めれば、太陽くらいの大きさになるんじゃないかなあ、って思ったりもします。あなたの悩みに値段を付けるなら、いくらくらいですか? って、全人類の悩みの総額って、月くらい買えるんじゃないかあ、と考えたりもします。

遥か昔に、仏陀という人がありまして。なんで人間は苦しまなければならないのか? という究極の問いを立て、その解決を目指して裕福な環境を捨てて、答えを求める人生を送ることとしたのです。その結果がどうだったか。

 

悟りなさい 

       以上

 

再現性が極めて難しい、答えといえるでしょうか。方法論じゃなくて、そういう境地に至りましょうってことです。

現代に伝わる仏教は、方法論に終始しているため、無数の宗派が氾濫しています。極端にいえば、やり方はどれでもいいので、ゴールに辿り着いたらOK! ってことかもしれません。

 

不幸のメカニズム

我々の、幸不幸ってどうやって出来上がっているのか。

 

原因⇒結果

何かがあって、時間が経過すると、こんなになっちゃいました、っていう構成が比較的判りやすい。仏教の因果応報とか縁起で説明できます。あんなことするから、こんな目に遭うだよ! とかね。

ゆえにモラルを守って善人的にそつなく生きましょう、とかってなります。宇宙の法則と言っていい。でも、これって客観的なんだけど、他人事というかイマイチ説得力がない。そこで。

 

事象(出来事)⇒認知(受け取り方)

「我思う、ゆえに我あり」っていう哲学者(デカルト)がおりまして。小難しいことは置いときますが、わけししょう的理解では、何かに対してどう受け取るかが、その人の人生ということですかね。

客観的な出来事が幸せなのか、逆なのか? はどうでもいい。その人自身にとってどうなのか。主体的にどう受け取るかによって決まってしまうということです。

人間という動物の特長はここにあります。というか、この特長を大いに活用することをお薦めします。

 

勉強することで幸福に近づく

勉強しなさいって口うるさい親は、だいたい勉強していません。自分が勉強できなかったので、子どもにもその引け目を当てつけているのです。もっと言うと、勉強する理由が分かっていません。そして、子どもに勉強を強要しながら、自身は勉強していません。

知識や情報、経験や知見が多いことによって、事象の受け取り方が違ってきます。これが大人になっても勉強したほうがいい理由です。というか、大人こそ勉強するべきです。一生かけてです。

 

困りごとがある、問題が生じている、それで不安や悩みが止まらない。それなら、図書館に赴きなさい、ってことが書いてあった本がありました。

どういうことかって言うと、貴方が悩んでいることはすでに誰かが悩んでいたことなのです。その解決策や対策はどっかに書かれてあるよ、ってことです。

「バビロンの大富豪」というご本を知ってますか? これを読んでその通りにすればお金持ちになれる可能性がある恐ろしい書籍です。わけししょうはン十回と読み倒しています。砂漠から発掘された何千年前もの石板に書かれた内容を解読した現代の学者が、その内容を実践して己の人生を逆転させるという刺激的な内容があります。

でも、人間の性(さが)として、面倒くさいことはイヤ、という傾向があります。読書って時間がかかるし、理解すんのがたいへん。勉強嫌いって、ある意味でハンディキャップなんだよね。じゃあ、どうすればいいの?

 

誰かに相談しよう

人間という動物の特長の1つに、情報の伝達ができることがあります。これが爆発的に文明を発展させてきたのです。

乱暴に言います。相談は人生を劇的に変える力を持っています。相談は命を救うことができます。相談は不幸を幸福に逆転できます。頭に突き刺さった見えないエクスカリバーを引っこ抜くことができます。

 

相談の力を信じろ!

 

でもね。日本の人って、他人に相談することが苦手かもしれません。重い十字架を背負ってる状態で、そんなことしたってムダみたいな文化があるように思います。独りで背負い込んで自らを殺してしまう事態さえありえる。わけししょうも相談するのは簡単ではない。意識して相談に乗ってもらうようにしてます。できてるかなあ?

相談っていえば軽い感じもするね。でもさ、カウンセリングもコンサルティングもコーチングも形式は相談ですね。心療内科の受診もそう。一方通行じゃないコミュニケーションは相談なんですね。さらに言うと、相談は価値の共有です。

しかも、無料で匿名で相談に乗ってくれる窓口がこの国/この県/この市町にはあります。ぜひともご利用ください。あなたを救ってくれる体制が整ってるんです。

 

わけししょうが相談にのろうか

詳しくは明かしませんが、わけししょうは相談という行為で飯を食ってます。相談のプロフェッショナルです。その威力は定評があるんじゃないかなあ、と自己申告しておきます。

わけししょうが相談に臨むとき、全身全霊で知見・知識・情報・予想を振り向けます。愛情と共にね。

万能ではありません。前もってお断りしておきますがね。有限責任ですよ。

何かございましたら、相談を持ち掛けてください。お問い合わせ欄から、SNSからでもどうぞ。有償無償で承っております。

 

その先にやること

相談していて思うことは、相談してよかったね的な段階で終始してしまうことがあります。

どういうことかっていうと、いいこと聴いたとか、心が軽くなったとか、目から鱗が落ちたとか、ご感想をいただくことがあります。それはそれでいいのですけんども。

実は、その先にさらにすばらしい展開が待っているかもしれません。どうすればいいのか?

 

具体的なアクションを起こすことです。実践することです。さらにはそれを研ぎ澄ましながら継続することです。当たり前ですが、これまたなかなかできないんだよね。

このような記事もあります。よろしければご利用ください。

 

不安を解消するには行動を起こすことです。とにかく、なんかやってみる。眠れない夜にやってみることです。

と言われても分かんないですか、さっきから言ってるじゃん。

 

相談してみたら?

 

わけししょうでした。