研ぎ澄ます男子力 #0007 game力

男子力

わけししょうが言います。

ゲームって、試合とか遊びとか、他人もしくは電子頭脳となにかを競うことでありまして、結果として勝ち負けや点数をあらそうものですね。

eスポーツなるものでお金を稼ぐこともできるようなご時世ではありますが、ここではマネタイズとしてのゲームを語るわけではありません。もっともっと大事な次元でのゲームを語らせてくださいな。

 

わけししょうが小学2年のときにvideo game「スペースインベーダー」が登場し、日本中が熱狂したのであります。登場したときはワンプレイ100円でしたからねえ。えらい高価な遊びでしたが、その楽しさに胸が躍ったものであります。

Enrique   Pixabay

町中の喫茶店はもとより駄菓子屋とかにも進出して、ゲームセンターなるものが続々と営業を始めた時代でしたねえ。地元の駄菓子屋ではテーブル型の台が何度も盗まれたなんていったましったけ。高度経済成長の時期とも相まって、日本ってすんごい勢いだったですねえ。

とはいえ、ここで言うゲーム力ってのは、ゲームプレイの上手さを磨こうという類いのものではありません。あしからず。

 

 

人生をゲームとして考える

Unsplash Greg Rakozy

生きていくってつらいこと? それとも無常の喜びを伴うもの? 

わけししょう、おもうところ、我々の人生はゲーム的なんだなあ。

 

困難や障害や難敵に挑む、それを克服・制圧・撃退する。その連続なんだと思うのであります。

 

生き物の、俺らの人生の前提を改めて考えよう

はい、ここで確認。ゲームには必ず設定とルールがあります。それらについて確認しませう。

 

生まれたからには死んでしまう

Jackie Williamson  Pixabay

まずはね、この世に生まれた我々は必ず死にます。残念なことかもしれませんが、どなた様ももれなく死にます。言い方を換えれば、死を前提に生きていくことが僕たちの人生なのさ。

ただ、死んでいくことが決まっていても、それがイコール負けではないことを確認しておきましょう。

 

死ぬことへの向き合い方は、また別の機会にお話ししましょう。

 

残念ながら俺らの人生にリセットボタンはない

我々の人生は一生といわれます。つまり、1回こっきりで終了。リセットができない。この1回性も覚えておきましょう。

昔の家庭用videogameだと、イマイチな展開なら本体のリセットボタンを押して、最初っからやり直す。全部なかったことにしてしまう、そんな癖がついちゃったしたものです。

さあさあさあ! どんな不利な状況であっても、逃げるわけにも諦めるわけにはまいりませんぞ。

さらに言うと、プレイヤーの交代もできません。あくまでもあなたが立ち向かうのです。

 

その身体は一生乗り続ける車

Unsplash Abed Ismail

我々は、その体格や、眼の色、皮膚の色、特性などを自身で選択することはできない前提で誕生します。そして、生きていきます。videogame(テレビゲーム)のタイトルによっては、操る主人公をチョイスできるようになってますけどね。

まあ、多くの人が自身に自信がないというか、なんらかのコンプレックスを抱えているかもしれません。不自由が伴おうとも、これで行くしかありません。腹をくくりましょう。

心身の不自由さを乗りこなそうとすることが、すでにGAMEですね。

 

ここは世界の片隅なのか~ 

THE BLUE HEARTSの詩にある一節です。そんなところはない~♪ と続くのですが。

我々は生まれてくる環境をも選ぶことができません。場所や時代、親きょうだいなどの家族構成、経済状況などなど。いまここ Here I am なのです。

我々は生まれの不幸を呪ってはいけません。

じゃあ、どうすりゃイイの?

 

人間にだけできるのが「学び」

まあ、確かに動物も学習はします。ここでいう学びとは勉強のことです。

 

Наталия Когут  Pixabay

人から、本から、ネットから、経験から、いろんなソースで人生の攻略法を会得するのです。

 

情報の伝達が僕たちのGAMEを勝利に導く、効率のいい方法なのです。そのことを知ってください。

学びには大きな喜びが伴います。学習によってなんらかの困難をクリアーできたのならば、さらに痛快を味わうことができます。そのことを知ってください。

 

Unsplash Sam Balye

大きな苦痛を舐めされられた、敗北感しかなかった学校教育だけが勉強ではないのです。

 

我々が歩むのは「ゲーム人生」

Unsplash JJ Ying

 

仏教では、この世は「穢土」とか「娑婆」とかと説かれてます。簡単に言うと、

 

私たちが生きている世界は最悪

 

ということ。

 

でも経文の中には、人々はこの世に遊びに来てるんだよね、というのがあります。お楽しみはここにあるのです。

 

そう、仏の境地とはゲーム人生だったのです。

 

みんな楽しんだよね「人生ゲーム」

Júlio Cesar J.Cesar   Pixabay

video game が普及するまでは、ゲームといえばボードゲームや野球盤とかでしたねえ。

ボードゲームとしてのド定番としては「人生ゲーム」がありました。ほとんどの人が遊んだことがあるんじゃないでしょうか。

独りではプレイできないので、複数の友達が集まることが前提です。ワイワイやるのが楽しいんですよね。友達が家から持ってきてたこともあったような。

現代版の双六(すごろく)ですかね。サイコロ代わりのルーレットをボードに配します。

 

Unsplash Randy Fath

駒が車型になっていて、ファミリーが増えると乗車させていくという、よく考えられているというか。

 

後は、模擬紙幣を壮絶な単位で使うのが生々しいというか、金持ちの疑似体験ができたような気がします。

 

みんな学んだよね「人生ゲーム」で

 

小学生のわけししょうが破産とか約束手形って言葉を覚えたのは、間違いなく人生ゲームでした。

金融やお金に関する教育になっていたのかもしれません。

当時は家業で商売をやっており、お袋が「連帯保証人」だけはダメ! としょっちゅう申しておりました。それらもわけししょうに深く刻み込まれたのであります。

結婚や出産などのライフイベントがあること、運不運で人生が決まるとか、自然にけっこう大事なことが知識として落とし込まれたような。

PublicDomainPictures   Pixabay

現代の日本ではお金に関する教育がおこなわれておらず、それが貧困や不幸につながっているのは間違いありません。誰か、ガチなリアル金融知識が身につくバージョンの人生ゲーム作ってみませんか?

 

ゲームは楽しい ならばゲーム人生も楽しく

知力・体力・運・人間関係などのリソースを総動員していろんなステージで、いろんな困難に立ち向かう。致命傷にならなければ、失敗は全然OK。

 

「try and error」とは、わけししょうの座右の銘と言っても過言ではない。

それは失敗を繰り返して繰り返して繰り返して挑戦していく、というまさにゲーム人生なのであります。

 

Gerd Altmann   Pixabay

てな感じで、今日もゲーム人生に邁進するわけししょうであります。

 

お問い合わせを待っているわけししょう

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